調子に乗ってました。
YouTubeが収益化され、
この2ヶ月間、鰻登りで成長をしていました。
もう公務員と同じくらいすぐいくなぁ!と
見通してしまうくらい。
でも、そう甘くないと痛感させられました。
ダメですね。慢心は。
謙虚にコツコツ積み重ねていこうとまた心を新たにしました。
認めてもらう人
誰かに認めてもらうことも大事ですが、
それより自分が自分を認めていないといけないなぁと思います。
何をするにも、それができないと
本当のパフォーマンスは出さないんだと
わかりました。
目標のために自分が何をしてきたか、何をやっていきたいか、自分で評価しながら進むことは、
何より大事です。
目標は人が叶えるものではなくて、自分でひとつずつ乗り越えていくものだから、自分の内から湧き出るエネルギーを行動に変えて今はできています。
1年前、組織から抜けた後は
『自分は無能だ!生きる価値ないんだ!』
とよく言っていました。
以前は誰かに認めてもらわないと自分の価値はないと思っていたので、やっと呪縛から免れられたなぁと思います。
水平線
人気の曲の歌詞の中に
『自分の背中は見えないのだから、
恥ずかしがらず人に尋ねるといい
心は誰にも見えないのだから
見えるものより大事にするといい』
とあります。
見えないところにこそ本質があるのかもしれないですね。
職業も肩書きは見えるけど、
それを見て行動を変えている人は、
思考していないか、何かが変われば
すぐにさってしまうかもしれません。
この1年、肩書きがなくなった分、
本当の意味での人との関係を築けたように思います。
自分の好きなもの
私が尊敬する人はやはり面白い!
その方は新聞を読む事が本当に好きで、
職場でも食い入るようにみる姿がありました。
でも今時代の流れと共に、
新聞が残っていくのかということに
興味があるようです。
ブログに書かれていたことが本当に面白い!
新聞はどんな役割があるのかと考え、
まだ答えが出ないそうですが、
自分が慣れ親しんだものや、
今や昔の良いとされたものを若い人に矯正、強制するのはやめようと締めくくっておられます。
柔軟であり、違いを受け入れることが
どれだけ尊いことかと思います。
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ここからは余談ですが、
新聞に対する私の意見としては、
新しい情報を伝えるという役割の新聞は、
クイック一つで発信できるデジタルには
もう敵わないのは確かなことだなぁと思います。災害時はTwitterが1番早いです。
私も新聞を買っていないのですが、
なぜ買わないかというと、
デジタルなら横文字で書いてあり、
画面をずらせば読み進められるけど、
新聞は紙にぎっしり書きたいのか
区画が変というか、続きはどこいったんだ?と
目が迷うし、読めばゴミになるからです。
ちょっと知りたいと思うような内容はデジタルでサッと。じっくり学びたいことは紙でというのが私にはしっくりくるのかなと思います。
ただデジタルはガセも多いし、自分が求める意見ばかり集めようとしてしまうので、多くの情報から事実らしい事を読み取ることが必要になると思います。
新聞は新聞社の思想や特色があること、
正しかろう事実が書かれている場合が多いこと、
なんか新聞を読んでる自分ってイケてる!
と思えることが魅力なのかなーと
思います。だとすれば、、
雑誌のような趣味の一部というような
役割なのかなーと私は思うのです。
極論言うと、紙もデジタルもいらない。
災害時以外ニュースを
得る必要はないのかなと思います。
変な噂話、偏見や差別を生むので。
知ったところで行動なんて変えないし、
優先思想ばかりが渦巻く感じが嫌いです。